2019年9月12日木曜日

精神病院 閉鎖病棟生活!?

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閉鎖病棟のなかは、意外と平和

保護室にはいって約一週間、ようやく閉鎖病棟に移りました。

これで自由だ、、とはいっても閉鎖病棟。

窓には策があり扉には鍵がかかっていてその都度看護師が鍵で開け閉めしていました。

病棟内にいる患者は、それぞれうつ病や統合失調症など色々な病気を抱えている人がいましたが、

一見みんな一般人のようにおだやかでした。


入院しても薬を止める気はなかった、、
精神病院に入院したことで、僕は多少なりともショックをうけ、

また、その事を反省してもいました。

しかし、反省のベクトルがずれていました。


今回は使い方を誤ってしまった。今度はきちんと用量を考えて使おう

と考えていました。薬をやめる気はなかったわけです。

その頃の僕は抗不安薬の威力に陶酔していました。

あれさえあれば、もう自分は不安とはおさらばだ、、、

これで自分はリア充になれる、、

そんな願いからどうしても薬をやめるという選択はできませんでした。


病棟には本棚があり、そこにはなぜかジョジョが一冊だけあり、それはあの暴君DIOとの決戦を描いた巻でした。

それを読みながら、自分は人間的な弱さを薬で克服した!
俺はDIOみたいに超人間的に生きる!

と未熟な決意をしていました。


入院している最中は、僕は毎日ホリゾンという薬を処方されていました。

その理由は乱用していた状態から一度にゼロにしてしまうと

大きな離脱症状がでるため、少しずつ薬を抜いていくためだそうです。


病棟のなかは、基本的に平和でみんな退屈していて、

僕は、二人のおじいさんによく構ってもらい、将棋やトランプに明け暮れていました。

片方のおじいさんはアル中で酒を飲んでいたら急に目の前に

巨大なカブトムシが現れ、あわてて病院に入院したんだそうです。


またある若いおじさんは会社に勤めていたものの急に自殺衝動が湧いて入院したという方もいました。



依存症の根は深かった
一方僕は、退院したらどのように薬を使っていくかを真剣に考えていました。

そこで思い付いたのが、いくつかの種類の抗不安薬を

ローテーションさせながら使うというやり方です。

実際にはどれを使っても同じように耐性はついてしまうのですが、当時は

これである薬で耐性がついても次の薬にいけば耐性がなくなるから

永久につかいつづけられる。

そんな妄想に耽っていました。


最終的に僕は入院して1ヶ月ほどで退院しました。

その時、僕は笑顔で

ありがとうございました。これからは使わないで生きていきます。

そう言い残しました。


そして、家に荷物を持ち帰って貴重品のなかにあった筆箱をみると、

なんとなかに薬が入っていたのです。


これをみて、僕はさっきまでの言葉とは裏腹にあっさり使ってしまいます。


なんでも病気のせいにしてしまうつもりはありませんが、自分はこの時どうやら

すでに依存症という死神にとりつかれていたようです。





そして再び使いながら学校へ、、
再び学校へ通い初めます。
みんなは暖かく迎えてくれました。

僕は周りには自律神経失調症で入院していたということにしていたのです。

だけど、そんな日々はすぐに終わりました。

僕は家で酒と薬を一緒に飲んでいました。


そして次の日、二日酔いの状態で自転車で登校中に

転倒してしまうのです。


この時、打ち所が悪く、したの歯が唇を貫通するというケガをしてしまいます。

その後大学病院にいき、ぬってもらうわけですが、

その際に血液検査をされました。

その結果、基準値を上回るアルコール反応がでてしまったのです。


このことは担任、教授にもつたわり、重く捉えられました。


そして、その結果、僕は大学を休学せざるをえなくなりました。


それでも、僕は前向きでした。薬が効いているからなのですが。


このあとも僕は別の大学へいくのですが、病気はますます進行していきます。


この後のことはいつか機会があれば、話そうとおもいます。

ここまで読んでくれた方々、拙い文章でしたが本当にありがとうございます。

精神病院 閉鎖病棟での生活 保護室編

精神病院の保護室に強制入院?!

気がつくと、僕は牢屋の中にいた。

薬でボケた頭で周りを見回してみると、


鍵のついたドア、シーツ一枚、目隠しのないトイレ、監視カメラ


それだけしかない部屋にいた。

混乱した。

ここはどこだ!?僕はここから出られるのか?!

ものすごく怖かった。

目が覚めてしばらくすると、医者と看護師が一緒に来て、説明をしてくれた。

どうやら僕は、薬の過剰摂取による自傷他害の恐れありということで、強制入院になったらしい。

それでも僕は混乱していた。

いつになったらここをでられるのか?

なぜ自分がこんな目にあわないといけないのか?

そんなことを訴えていた。

保護室のなかは、まさに狂人たちの集まりだった。

いくつも並んだそれぞれの部屋からは、奇声が聞こえる。

なかには、お経を大声で唱えたり、尾崎豊を大声で歌っている人がいた。

ここの人たちは狂っている、、、

一刻も早く出たかった。ここにいる人のなかでまともなのは自分だけだと思っていた。


そういいながらも僕は、恐怖からか、ここをだせ!と大声で叫び、扉にライダーキックをかましていた笑

全くびくともせず、うるさくてむしろ周りの患者から苦情が来たくらいだ。





絶対にここから抜け出してやる!


二日目、だいぶその環境にはなれてきた。

そして、僕が企てたのは脱走だった。


しかし、どうすれば、、?

一つ考えがあった。

僕は医者からもらった説明の紙を便器の中の水に浸した。

そして、それを監視カメラにはりつけた!

これで、監視カメラの目は逃れられる、、、


それから、僕は部屋の隅の壁と壁とを器用によじ登り、
天井の隅にあるダクトに忍び込んだ。


ここをつたっていけば外にでられる!

そう思っていたのだが、実際入ってみないとわからないのだが

ものすごくせまい。

それになんかよくわからないパイプはあるわ、ネズミはいるわで
ここを通るのは相当憚られた。

そんなこんなでしどろもどろになっているうちに看護師がカメラが写らなくなったからか様子を見に来た。

僕は大人しく、天井裏から降りてきた。


一緒に先生もきていた。

先生は、なぜそんなに興奮しているのか?と僕に尋ねた。

僕はとにかくここから出たいんです。と言った。

もう一週間したら閉鎖病棟に戻してあげるからそのためにも大人しくしていなさい。


そう先生は言った。

僕も天井に登ってやりきったという満足感ともうダメだ、という疲れから素直に了承した。



それから一週間、ついに保護室から解放される

それからの一週間は長かった。なにせとにかくやることがない。

唯一の楽しみは、1日三度の飯だけだ。

毎日決まった時間になると、ドアのしたに空いた小さな穴から料理がはいってくる。

ご飯は豪華ではないがむしろオーソドックスなものが多かった。
朝ごはんはパンと目玉焼きとフルーツ
といったふうに。

それ以外の時間僕はただひたすら横になっていた。

そしてこれから先どのように生きていけばいいのか考えていたものだ。


実をいうともう一つ、退屈を過ぎると人間そうなるのか、僕は監視カメラに対し死角を作りながら、

オナニーに耽っていたのだった。

精神病院の保護室で布団にくるまりながらひとり自慰行為にふける。

今思えば、自分は大学生の立場から、非常に惨めな立場に成り下がっていたのだった。


そんなこんなで、なんとか一週間は過ぎ、解放病棟に出してもらえた。


この時の解放感はすごかった。

病棟には庭のようなところがあり、僕はすぐそこへ行き外の空気を吸った。

病棟は大半が男性だったが、女性もいた。

みんなは仲がよさそうで、パッと見全く普通の人だった。

それから僕の閉鎖病棟生活は20日間ほど続く。



長くなりましたので、ここら辺で一度区切りたいと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。


2019年9月9日月曜日

(続編)抗不安薬で人生変わった!?僕が体験した天国と地獄(その2)


b>まるで別人になった!?


ベンゾジアゼピン系の抗不安薬を飲み始めて、僕は変わりました。

それも始めはよい方向に、、、

なにせそれまで、酒をのみつづけた影響もあってか、僕を包み込んでいた不安は
嘘のようにきえました。

そして、なにより人が怖くない!!
あれほど、知り合いとすれ違うのすら恐れていた自分が普通に暮らしている!

薬で元気になった自分は真っ先に学校にいきました。

これでリア充になれる!
そう思ったものです。

実際しばらくはそれで上手くいきました。
友達とも女性とも緊張せず話せる、普通の人はこんな世界で生きていたのか
と、もっと早く薬にであっていればと思いました。


それだけでは終わらない、、、
ここから僕は暴走を始めます。

まともに使えたのは始めだけでした。

薬を常にポケットに1シートは確保しながら送る生活が始まりました。


もう完全に依存してるんです。


なにか友達の一言、人の言動に不安を感じたら、薬を1錠。

なにか緊張する場面に出くわしたらもう1錠。


そんな使い方してるから、薬がすぐに足りなくなるんです。



僕は行きつけの精神科では薬が足らず、

新たな病院をまわって、薬をかき集めるようになります。


最初は一軒だった、、

それが二軒、三軒とどんどん増えて行きます。



そのころは薬用のバッグも用意していました。あまりに大量なので。


そのころ、僕は出会い系にはまり始めました。


異性と仲良くなりたい!

そんな思いが僕にはつねにあったし、
失った彼女の隙間を埋めたい。そんな思いもあり、ひたすら女の子に声をかけていました。
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僕は壊れてしまった、、、
そして欲望の赴くままに薬を使い続けました。

しかしそんな日は、長くは続きませんでした。


いつものようにハイテンション(薬が効いているので悩みなんてないんです)
で担任の先生に会い、僕はいいました。


もううつ病は治りました!

彼女のことも全然気にしてません!


今まで相談にのっていただきありがとうございました!
ところで、最近メールしている女性がいるんですが、、、
 
と携帯の画面を見せました。

このとき先生からは、

もうこれ以上メールは送らないほうがいい。
返信を待ちなさい。

と、言われたのを覚えています。

おそらく先生も異変を感じとっていたんでしょうね。


そのあと授業に参加しました。
そしてトイレに行こうと扉を開けたときのことです。


担任と教頭が目の前にたっていたんです。


そして、僕の腕をつかんで病院へ行こうといいました。

半分よっているような状態の自分は何が何だかわからずつれていかれました。

そして、大学病院でいくつかの検査を受けたあと、 
先生から、これから入院する。
ということを告げられました。

自分はちょっと待ってください。といいました。


そして、トイレへ行き、もう何が何だかわかりません。持っていた処方薬をたらふくのみました。
 
そして先生と看護婦の前でぐでんぐでんになりながら意識を失いました。




気がついたらそこは、、。
それから1日半はたったと思います。


目が覚めると僕は牢屋の中にいました。

当時はものすごく混乱しました。

ここはどこだ!俺はどうなるんだ!?


と焦ったのを覚えています。
なにしろ、始めての精神病院だったものですから。
 
そこには壁も目隠しも何もないトイレ、
そして寝るためのシーツ一枚しかない部屋でした。  

ものすごく怖かったです。


これが僕が抗不安薬に依存した結末でした。
実は、これは地獄なんてものではなく、
僕の人生はこれからさらに底を深めていきます。

僕の精神病院での暮らしは次に書こうと思います。
それではみなさん、ここまで読んでいただきありがとうございました! /div>