2019年9月12日木曜日

精神病院 閉鎖病棟での生活 保護室編

精神病院の保護室に強制入院?!

気がつくと、僕は牢屋の中にいた。

薬でボケた頭で周りを見回してみると、


鍵のついたドア、シーツ一枚、目隠しのないトイレ、監視カメラ


それだけしかない部屋にいた。

混乱した。

ここはどこだ!?僕はここから出られるのか?!

ものすごく怖かった。

目が覚めてしばらくすると、医者と看護師が一緒に来て、説明をしてくれた。

どうやら僕は、薬の過剰摂取による自傷他害の恐れありということで、強制入院になったらしい。

それでも僕は混乱していた。

いつになったらここをでられるのか?

なぜ自分がこんな目にあわないといけないのか?

そんなことを訴えていた。

保護室のなかは、まさに狂人たちの集まりだった。

いくつも並んだそれぞれの部屋からは、奇声が聞こえる。

なかには、お経を大声で唱えたり、尾崎豊を大声で歌っている人がいた。

ここの人たちは狂っている、、、

一刻も早く出たかった。ここにいる人のなかでまともなのは自分だけだと思っていた。


そういいながらも僕は、恐怖からか、ここをだせ!と大声で叫び、扉にライダーキックをかましていた笑

全くびくともせず、うるさくてむしろ周りの患者から苦情が来たくらいだ。





絶対にここから抜け出してやる!


二日目、だいぶその環境にはなれてきた。

そして、僕が企てたのは脱走だった。


しかし、どうすれば、、?

一つ考えがあった。

僕は医者からもらった説明の紙を便器の中の水に浸した。

そして、それを監視カメラにはりつけた!

これで、監視カメラの目は逃れられる、、、


それから、僕は部屋の隅の壁と壁とを器用によじ登り、
天井の隅にあるダクトに忍び込んだ。


ここをつたっていけば外にでられる!

そう思っていたのだが、実際入ってみないとわからないのだが

ものすごくせまい。

それになんかよくわからないパイプはあるわ、ネズミはいるわで
ここを通るのは相当憚られた。

そんなこんなでしどろもどろになっているうちに看護師がカメラが写らなくなったからか様子を見に来た。

僕は大人しく、天井裏から降りてきた。


一緒に先生もきていた。

先生は、なぜそんなに興奮しているのか?と僕に尋ねた。

僕はとにかくここから出たいんです。と言った。

もう一週間したら閉鎖病棟に戻してあげるからそのためにも大人しくしていなさい。


そう先生は言った。

僕も天井に登ってやりきったという満足感ともうダメだ、という疲れから素直に了承した。



それから一週間、ついに保護室から解放される

それからの一週間は長かった。なにせとにかくやることがない。

唯一の楽しみは、1日三度の飯だけだ。

毎日決まった時間になると、ドアのしたに空いた小さな穴から料理がはいってくる。

ご飯は豪華ではないがむしろオーソドックスなものが多かった。
朝ごはんはパンと目玉焼きとフルーツ
といったふうに。

それ以外の時間僕はただひたすら横になっていた。

そしてこれから先どのように生きていけばいいのか考えていたものだ。


実をいうともう一つ、退屈を過ぎると人間そうなるのか、僕は監視カメラに対し死角を作りながら、

オナニーに耽っていたのだった。

精神病院の保護室で布団にくるまりながらひとり自慰行為にふける。

今思えば、自分は大学生の立場から、非常に惨めな立場に成り下がっていたのだった。


そんなこんなで、なんとか一週間は過ぎ、解放病棟に出してもらえた。


この時の解放感はすごかった。

病棟には庭のようなところがあり、僕はすぐそこへ行き外の空気を吸った。

病棟は大半が男性だったが、女性もいた。

みんなは仲がよさそうで、パッと見全く普通の人だった。

それから僕の閉鎖病棟生活は20日間ほど続く。



長くなりましたので、ここら辺で一度区切りたいと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。


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